経理マンが独立して名古屋でデザイン事務所を設立できた訳(2)

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経理マン時代の話をする前に、高校生のころの話に触れておきたいと思います。

僕は商業高校に入学して、簿記の勉強や情報処理といった学科を学んでいました。今思うと何となく授業でやるからやっているといった感じで、全然面白いと思った事はありませんでした。授業で疑似的な会社をグループごとに作って伝票処理をしたりする授業もあったのですが、よく考えてみると、先生も会社の業務をやったことがないのでピンと来てなかったんじゃないかと思います。

勉強はあまり好きではないので、部活が楽しかったです。理由は全然覚えていませんが演劇部で音響をいじっていました。ゴジラの鳴き声を無理矢理引き延ばして怪獣の声を作ったり、自分の声を引き延ばしたり、当時はMDが出て来てデジタルデータの切り貼りが出来るようになっていたので、自分でもMDを買って文化祭で使う曲を編集したり、そういうことをたくさんやっていました。あとはバンドでベースを弾いたり、中学校でブラスバンドをやっていたので先生に頼まれてブラスバンドでチューバを吹いたり、これも先生に頼まれてコンピューターのプログラミング競技会に出て入賞したこともあります。

学科は商業科という簿記などを勉強するところにいたのですが、情報処理科の人たちが受ける情報処理検定1級も商業科で1人だけ合格したり、今思うと目の前のことに取り組むのが得意な気がします。一度やり始めたら辞めずに頑張る事が大事だと、小さな頃から思ってました。

部活を3つ、あとバイトを2つ、バンドを1つやっていたので、寝る時間が無くて授業はほとんど寝ていました。起きたら先生が変わっていたこともよくありました。

高校時代はやれることを全部やろうと思っていたので、本当に勉強以外に一生懸命でした。あまりにも疲れ過ぎて、バイトの朝礼で2回気を失って倒れました。気がついたら休憩室に寝かされていたりしていて、本当によくやってたなと今でも思います。でもそれを見た母親に「あなたは死に急いでる」とすごく怒られて、あまりいいことでないし、まわりに迷惑かかると思って、今はそこまで意識的にやらないようにしています。

僕は親に「死に急いでいる」っていわれる前から、自分でそうやっているのをちゃんと分かっていました。覚えている限り、幼稚園の頃から死にたいする恐怖心があって、何でも早くやらないといけない、出来るだけたくさん色々やりたいと思っていました。今でも恐怖心から夜にうなされることがよくあります。でもどうしようもないから頑張ろう!っていつも自分を震い立たせて生きています。

なんでこうなったかは分かりませんが、それが逆に良かったのかなと最近は思えるようになりました。
 
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