経理マンが独立して名古屋でデザイン事務所を設立できた訳(1)
僕は今、名古屋でデザイン事務所を経営していますが、もともとは商業高校を卒業後、18歳の頃から製造会社の経理マンとして働いていました。
僕自身もデザイン事務所で修行をしてから独立するのがセオリーだと思いますが、自分がそういう経緯を踏んでいないので、今から転職しようとしている人に勇気を与えられるのではないかと思い、シリーズ化することにしました。
経理マンになる前はこんな感じでした。
- 中学校を卒業後、百貨店でサービスマンとして働きたかったので先生に相談したら「商業高校だろう!」と言われて商業高校に入学
- 高校入学すぐに図書準備室にあった先輩たちの「就職実績」を見に行ったら、誰も百貨店(松坂屋)なんて行ってなかった。
- そこで初めて、百貨店に勤めたいならきちんとした大学に入って就職しないといけないと知る。
- 部活は何となく演劇部に入り、音響機器をずっといじっていた。
- 1年生の時は割と真面目に勉強していたので、体育以外は全て5段階評価の5だった。
- でも目標を見失っていたので、先輩の友人とオジーオズボーンのコピーバンドをしたりして素敵な高校生活を送っていた。
- 授業でプログラミングの勉強や、当時出始めていたHTMLを触ったり、会計簿記の勉強をして資格を取ったりした。
- 卒業のタイミングでもやりたいことが見つからず、だったら大学行くより働いたほうがましと思って、その時に一番良かった就職先の地下鉄の運転手を選択するが、視力検査で引っかかることに途中で気がついて、そのタイミングで辞退。
- そのまま就職先が見つからずに、最後に残った「海老せんべい屋さんでパートのおばちゃんと煎餅を焼く」か「わさび屋さんで経理をやる」かの2択しか残っていなかったので、「わさび屋さんで経理」をすること選択した。
このような、全然自分の思い通りに行っていない、というよりも何がしたいのかを高校生の時に見失ってしまって、流れに身を任せたような感じでした。次回は経理マンになってからの生活について書いてみたいと思います。
次回の話はこちら
経理マンが独立して名古屋でデザイン事務所を設立できた訳(2)
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