奥松阪という名前に込めた想い

先日、今立ち上げている食堂のオープニングメンバーで東京に買い出しに。ここから少しずつ忙しくなるので、事前の慰安旅行という意味も込めた1泊2日の旅でした。

現在は3人ですが、パートタイムで働いてくれる人も現在探していますが、まずは9月にこのメンバーが松阪の中山間地域に集まり活動がスタートしました。去年の今頃は資金の調達のために資料を書いていたり「本当に進められるかな」と心配もありましたが何とかオープンに向けて進んでいる最中です。

アフターコロナがいよいよ見えてきた、観光客の訪日

山の中にいるとなかなか気がつかないのですが、観光地に出かけると旅行客も増えてきている印象で、やっとここからが勝負になってくるなと感じています。宿泊は「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」に泊まったのですが、外国人観光客の方と若いスタッフの方が英語でコミュニケーションをしている姿とか、すぐではないけど松阪でも実現出来るとすごく楽しいだろうなぁと色々と妄想も膨らみました。

奥松阪という名前に込めた、30年後の未来を見据えた想い

僕たちのお店の名前も、「宿泊・食事・喫茶 奥松阪」に決まりました。
最初に発表したらそんな名前は意外と言われたのですが、実はこれを決めるために色々な未来のことを想像して、たくさん時間をかけて悩みました。

奥松阪がある飯高町という場所は、松阪市の中山間地域に位置し、隣は飯南町があり、周辺は香肌峡県立自然公園にも指定されているので、香肌峡と呼ばれることも多い地区です。

元々この辺りの場所は松阪市ではなかったのですが、平成の大合併があった時期に松阪市に編入されたために、今でも松阪市の街の方に出かける人たちが「松阪行ってくるわ〜」と違和感なく話したりします。僕も結構「松阪行ってくる」と自然に話したあとに「ここも松阪だったわ」と思い返したりすることがよくあります。

なんとなく飯高・飯南と呼んだり、逆に飯南・飯高と呼んだり、あとは香肌峡と呼んだりするのですが、友達に話しても「そもそもどこか分からない」と、この2年間でたくさん言われました。

ここから人口減少、少子高齢化という厳しい局面を迎える中で、中山間地域と市街地が一つになれるコンセプトや、中山間地域の町同士が一つになれるコンセプトがないかなと考えて思いついたのがこの「奥松阪」という言葉でした。僕たちの住む街も松阪の一部だと市街地の方や他府県の方にも知ってほしいし、松阪の奥にも豊かな自然が溢れる素敵な場所があることを知ってほしいし、この「奥松阪」という言葉でみんなが繋がれるのではないか、という期待も込めました。

これから始める民宿や食堂はただの生業のための店舗ではなく、これからの未来を考えて実際に行動しながら未来に希望を持つことができるようになる為の概念だと考えています。

きっとこの想いはたくさんの人たちに届くと信じています。

実際にはこれから過疎化も進み、本当に大変な時期に入ります。でも僕たちは希望を捨てず地域の未来を信じて行動します。まずは30年後の未来を見据えて一歩づつ前に進んでいきたいと考えています。

2022年の終わりにはプレオープン。
至らないところもたくさんあると思いますが、精一杯頑張りますので応援よろしくお願い致します!

MORE POSTS