ものに囚われずに生きるためには、本当に大切なものに囲まれて生きる

地域おこし協力隊として活動をスタートした最初の頃、初任者研修として尾鷲市に出張に出かけて、古民家や使っていない店舗を見学する機会がありました。昨日まで住んでいたかの様に物が残っている家に上がらせてもらった時には、なんだか生々しいなあと思ったりもしました。

家は人が出入りしなくなると朽ちてくると聞きますが、どこの場所もそんな感じがして、これを活かすための時間はそんなに残されていないのだろうなと感じています。

       

昭和は大量生産大量消費の時代だった

僕が小さい頃、近所の空き地はどんどん住宅に変わり、似た様な家がたくさん建った時代でした。そこから約30年たちその場所は変わらずあるけど、なんとなく昭和の匂いがする佇まいで安くて機能を満たすものが重宝された時代だったのかなと思います。

器などでいうと昭和の大量生産で作られた物はなんとなくチープな感じがしてしまって、どうしても僕は大正時代や明治時代の印判小皿などにひかれてしまう。少し手作り感が残る量産品の方がなんとなく隙があり、そういうものを選んでしまいます。

あと20年くらい経てば昭和レトロも同じ様な扱いになるのかも知れませんが、今なんとかしないといけないのはもう少し前の時代に丁寧に作られた物たち。家もそうかもしれませんが、器などの物も含めた文化などの見えないものまで。効率化の波に追いやられてしまった価値のある物をどう活用するかを真剣に考える時期にきたのだと感じています。

ものに囚われずに生きるためには、本当に大切なものに囲まれて生きる

捨ててしまう前提の物はまた購入しなければならなくて、もしその捨ててしまう物を自分の一番気に入ったものに変えて長く使うとしたら、もっと生活に個性が生まれ豊かになっていきます。安物買いの銭失いの本質は、好きでもない物を安いという理由だけで買うから、また他の物が欲しくなるということ。本当に好きで長く使えるものを選択することで、そのこと自体を考えなくてよくなるし、消費以外のことに時間を使える様になります。逆説的になってしまいますが、ものに囚われずに生きるためには、本当に大切なものに囲まれて生きることが大事、だと思っています。


写真撮影:Julius Shulman © J. Paul Getty Trust. Getty Research Institute, Los Angeles (2004.R.10).
(引用)https://www.hermanmiller.com/

イームズに学ぶ自然との関わり方や多様性

僕は1人暮らしを始めた19才の時から、アメリカのミッドセンチュリーを代表するイームズ夫妻が好きで、今でも家具などを色々と所有しています。20年前はカフェブームで色々なカフェでミッドセンチュリーの家具が使われていて、僕もその影響で20才でイームズを買いに出かけていました。最初に買ったオレンジのサイドシェルチェアは今でも所有しています。当時見たイームズ邸はすごくカッコいいというだけで「何がいいのか?」言語化出来なかったのですが、イームズ邸の魅力は、様々なジャンルの異なるアイテムが共存しつつも「なんとなく良い」という雰囲気を作り出しているところ。僕はこの多様性に共感して、古いものでも現在のものと混ぜたり、ジャンルで分けることなくなんとなく共存して「なんかいいね。」を作り出すことはきっと可能なんだと信じています。

僕が移住した松阪市飯高町という街には、 日本の古き良き文化や歴史や建物が残っています。そこに今の時代のエッセンスが加わったらまた新しい暮らし方や、文化が生まれるのではないかとワクワクしています。そのためにも歴史を学び、色々な方と触れ合い暮らしていく時間をもっと作っていきたいと思っています。

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