街づくりや伝統工芸を維持するために必要なこと
8月18日から20日にかけて、青森県弘前市へ出かけてきました。
弘前は小学校1年生の終わりまで住んでいた慣れ親しんだ街、知らない事も沢山あるので行く度に色々な発見があります。去年は青森中心だったのですが、今回は弘前を中心に回りました。弘前公園にある弘前城では、本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」が起こったため、現在は改修作業が行われています。曳屋(ひきや)が行われるために、今年はねぷた祭が終わった後でも、観光客が多いそうです。曳屋についてはこちらのホームページに詳しく書いてありますので良かったらご覧ください。
さて、今回は弘前公園にある本藍染めの工房にお邪魔しました。この周辺は「紺屋町」という町名なのですが、親戚も住んでいるので町名は小さい頃から知っていたのですが、藍の「紺色」から取った町名だとは知りませんでした。昔は染め物屋が立ち並ぶ通りだったそうですが、今では一軒だけとなっています。確かに子供の頃に通った時はもっと歴史のありそうな建物が沢山あった気がしますが、今は住宅などに変わっているところも沢山あります。
元々は城下町。反物を作るために染め物が盛んだったようですが、ドイツからの化学染料が入って来た事、着物文化が無くなっていった事から、どんどん染色産業が衰退して一時期紺屋町では染色産業が全滅したそうです。
25年くらいまえだと思うのですが、弘前にりんご台風と呼ばれる大きな台風が来た際に、りんご畑が壊滅的な被害を被ったことがあり、その際に市内の町家も屋根が壊れるなどの重大な被害にあいました。
実は、今残っている藍染めはその台風がきっかけで復活をしました。町家の修復の際に建物の床から藍染め用の大きな壷が沢山発見されました。おそらく職人たちが道具を捨てるに捨てられず、床下に隠していたようです。
これを機にもう一度染めをやってみないかということで再開した藍染めが、今もずっと続いています。
弘前に行って一番感じた事は「伝統工芸や地域産業が街に寄り添おうとしている」こと。職人さんが「観光客の方だけでなく、街の人にも藍染めを使って欲しい。だから手の届く値段にしたい」と言っていました。弘前のシードル工房「kimori」の方も同じく、「りんご公園のイベントは、観光客の方だけでなく街の人にも楽しんでもらいたいと思っている」と言っていました。弘前にはいいと思う事をみんなでシェアするという感覚があるなと肌で感じました。
実はこの感覚が街づくりにとってはとても大切な事ではないかなと感じました。よくビジネスの場で聞く「差別化」とか「強み」という言葉。この言葉は一歩間違えると「協調性や社会性」を崩すことになりかねません。産業や街は「個」の集合体で成り立っています。だからこそ生まれる規模や魅力が存在します。
僕たちはあまりにも一人勝ちを目指しすぎたことで、失ったものも沢山あるのかも知れません。
伝統工芸や街を守るということは簡単な事ではないと思います。想いだけではどうしようも無い。ずっと同じことをしていても廃れていくだけ。守るべきものと変わるべきものをきちんと考えて、変わっていく事も非常に大切だと思います。
下の写真に載せている「こぎん刺し模様」の藍染め、名前は書けませんが有名なリゾートで使われるものです。本藍染めを守りながら「こぎん刺し模様」を取り入れて柄をつけています。こぎん刺しは本来は糸で縫うものです。でもこれはコンピュータで柄を出力した型紙を使ってシルクスクリーンをかけています。しかも糊をつけて色が入らないようにするのではなく、上から色を塗っています。
これをタブーというのか新しい手法というのか、人によって意見が分かれると思います。でもそういう意見が分かれることにチャレンジしないと新しい道は開けないと思います。
この工房では化学染料は使いません。あくまでも本藍染めという伝統技法を守りながら新しい事に挑戦しています。お客さんが何を期待してくれているのか。その期待されている部分は変えてはいけないものだと思いますが、このバランス感覚はとても大切なことだなと、とても参考になりました。
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