経理マンが独立して名古屋でデザイン事務所を設立できた訳(4)

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何かしないといけないってずっと思っていましたが何も出来ず、でも目の前の事は一生懸命やろうと思って仕事に取り組んでいました。実は会社に勤めている間に、週三回会計の専門学校に通っていました。きっかけは一緒に働いていた人に言われた一言がきっかけでした。
具体的にあまり覚えていませんが、要約すると「高卒で何も知らないくせに口出ししないで」というニュアンスの言葉だったと思います。確かにその方の方がキャリアがあって資格も持っていたので、年下に生意気な口を聞かれるといい気分しないだろうなとも思いました。

それを期に「僕もちゃんと勉強して話を聞いてもらえる様になろう!」と思い立ち専門学校に入学しました。仕事が終わると平日は19時から21時まで、火木2日間。あと土曜日は朝から夕方まででしたので休みが大体潰れる感じでした。

まずは日商簿記検定2級を目指しました。試験前は4時30分に起きて、6時まで過去問を解いて、7時過ぎには出社する毎日でした。不思議と苦痛にはなりませんでした。高校の時に2級の勉強は意味が分からなかったのですが、会社で実務もこなしていたので、それにリンクする内容もたくさんあって楽しかったんだと思います。

2級は割と簡単に合格しました。その後は1級を目指しました。内容は急に難しくなって、当時導入された時価会計やキャッシュフロー計算書や、連結決算などを学び、原価計算や株式の評価なども行っていました。そうすると仕事も楽しくなり、いつの間にか学校へ行くきっかけになった先輩とも協力体制で仕事が出来る様になっていました。僕は色々言われて悔しいとは思いましたが、事実だったし、そうやって言ってもらえなかったら分からない事も沢山あったと思うので、その頃から本当に感謝の気持ちで一杯でした。

もう一歩のところでなかなか試験が受からず、約3年も会計学を学んでいくうちに、会計の本来の目的に気がつきました。

ただ数字をまとめるだけでなくて、決算や節税をするためでもなく、経営をしたり、問題点を発見するためにはレベルの高い会計スキルが必要なんだと。だからこの仕事が存在するんだと。

それに気がついた時に、僕は「気がついた問題点を具体的に解決したい」と思うようになりました。会社では問題点を把握して提案することが仕事かもしれないけど、それを実際に動いて解決したいと思いました。そう思ったら「この仕事は知っておく必要はあるけど、自分がする事じゃないな」と感じて、この仕事を辞めたい気持ちが強くなりました。

その頃、知り合いのイタリアンのレストランのオーナーと会う事があり、話をした時は経営が上手くいっていなかったみたいで、他のレストランと経営統合して法人化するから、そこで仕切り直しするとのことでした。
その時に「料理も好きなら一緒に働かないか?」と誘われました。その後すぐに、会社の本社になる予定の事務所に話を聞きにいって、カフェもやってみたいと思っていたし、現状を変えたいと思っていたので、すぐにやってみようと決めました。確か2005年の年初でした。
 
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