Tottori sand dunes/まるで僕らの人生を表しているようだった


3連休は少しだけパソコンの前から離れたいという欲求にかられて、和歌山までの旅行を鳥取まで伸ばして、宿泊も当日予約して出かけてみました。
 
昼間に出発して、夜に到着。
フラッと入ってみたバーでいい出会いがあり、鳥取で有名な食の情報だったり、地域性だったり、ガイドブックに載っていない楽しい情報を教えてもらいました。鳥取砂丘はノーマークだったけど車で10分くらいだと聞き、翌朝目的地へ行く前に寄り道をしてみました。
 
ふと広がる景色の向こうに砂丘の頂上が見える。坂を下り始めると意外に砂丘も歩きやすいんじゃないかと思い足を進める。ちょうど坂を下り切ったところで大きな山のようになった砂丘の頂上を見上げる。
 
だいぶ高いなぁ、面倒だなぁと思いながらも上で楽しそうに歩く人たちを見て、僕も登ろうと決心する。いざ登り始めるとそれはとてもきつい砂の坂道で、さっきは下りだったから楽だったんだと、ここで初めて気がついた。途中で何度も諦めようかと思ったけど、登り終えて下る人とすれ違いながら、やっぱりせっかく来たのだから上まで行こうと思いまた登る。
 
頂上に着くと綺麗な海が見えて、下には登ろうとしている人たちが見える。
上まで行ってしまうとキツかったことなんて忘れて景色を楽しむことができる。
 
ただ、登ったからには下りないといけない。
下りながら上がって行く人を見ると、勝手に人生の登り下りと重ね合わせてしまう。
これから人生のピークを過ぎて老いが始まり、体力でも気力でも若い人に追いつけなくなるんだと悟る。
 
自分よりも年齢が若い人たちは、先輩に気を使う。でもそれに甘えてしまってはいけないといつも思っています。話を聞いてくれるのは気を使っているから、譲ってくれるのも気を使ってくれているから。
 
自分が決して相手よりも優れているからと思うのは間違いだ。
ピークを過ぎても椅子に座り続けようとするのは、とても幼稚で見苦しく見えてしまうから、やっぱり椅子は座る権利がある人が座るべきだと思う。
 
現状に不満があっても、それは自分が過ごして来た人生の結果であって、誰のせいでもなく自分のせいだ。もし山に登りたいなら遅れているなら走らないといけない。
歩かずに頂上まで登っても意味なんてない。登りながら感じる色々なことが、自分の人生の糧になり自分を強くするから。
 
ショートカットしたいと思うけど、そんなものなんてない。
やっぱり一歩一歩歩くことが、一番の近道なんだと思う。

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