生きているだけで、それでいい。

DSCN0811
6年前、僕はまだサラリーマンでした。
ナディアパークで社内の管理職向けの研修を行っていた時にドン!と突然揺れた。そしてiphoneの画面に「仙台で震度7」の表示。窓の外ではビルが揺れているのが見えた。こんなこと初めてだった。
 
スライドは一旦止めて、仙台支店の支店長が電話をかけに部屋から飛び出した。またその後の揺れた。その時はことの重大さに気がついてなくて、一応研修はそのまま続いた。
 
夕方テレビを見ると、家が流されている様子とかが流れていて、とんでもないことが起きたんだと実感した。
その後、余震も怖かったし、テレビは数ヶ月同じCM。気が狂いそうな感じがしているのに支援のイベントがいろんなところで立ち上がって、参加することもあったけど、僕は自分のことを考えるので精一杯だった。
 
このままこんなことをしていていいのか?何かできることはあるのか、どうすればいいのか。
ずっと考えて、時間がないと焦り続けて、会社を辞めた。
 
会社を辞めた一番の理由は、時間が欲しかったから。
単純に言うと、同じ決断をするんだったら、早く決めた方がいい。そうしたら余裕ができてゆっくりできる、こう思っていた。でも5年間独立して仕事をしてきて気がついたことがある。
 
どれだけ効率化しても、余裕ができてゆっくりできることなんて無かった。さらに忙しさが加速するばかりだった。シンプルに余裕を持ちたいなら、ただ単純に余裕を持つことが大切で、なにかの代わりに何かを得ようとするのでは、一生手に入らないんだと知った。
 
楽しく遊びたいから一生懸命仕事をする。とか、時間が欲しいから効率化するでは、きっと欲張りだ。
時間が欲しかったら得ればいい。遊びたかったら遊べばいい。何かを犠牲にしなくてもいい。
 
今日、このタイミングで言うと、不謹慎と言われても仕方ないけど、生きているだけでそれでいいと思っている。
未来のこと、周りのこと、いろんなことを考えすぎることに疲れたから、今日は自分の時間を大切にしたい。
 
生きていくためには仕事をするのか、仕事をするために生きているのか、どっちなのか。たぶんどっちでもいい。
季節を感じて、空を眺めて、花粉で目が痒くて、振袖の学生を見て自分の卒業式を思い出すのも悪くない。
そもそも、こうして文章を記している自分が存在していること自体、理由を説明できる人なんていないんだから、きっと物事の理由なんてあんまり考えなくてもいいと思う。

MORE POSTS