都会のインフラは、もう人を支えるだけのキャパを超えているのかも知れない
東京ではこの時期では50数年ぶりとなる積雪だそうです。なんだか今年は秋がなくて、夏からすぐに冬に突入してしまった気がします。秋が一年のうちで一番好きな自分にとっては、少し寂しいなぁと感じています。
昨日から阿佐ヶ谷に泊まっていて、今日は朝から東中野のお客さんの駐車場に車を止めて、そのまま中央線で新宿へ行きました。
当然こんな天気なので電車も遅れ気味で、朝の新宿駅はいつにも増して人で溢れかえっていました。冷たい空気に混じる排気ガスの臭いが、昔はそんなに嫌いじゃなかったはずなのに、なんだか今日は身体に悪そうだなぁと思って、ちょっと避けたい気分でした。
最近、三重の田舎に行くようになって、空気や水の味が土地によって全然違うことに気がつくようになりました。
都会から田舎へいったり、その逆をしたり、行ったり来たりすることで違いに敏感になってきたのだと感じています。どちらが良いかなんて人それぞれだから、どっちでもいいと思うけど、僕はきっと両方好きで、両方の良い所をチョイス出来ればいいなと、都合のいいことを考えている。
基本的に通勤しないスタイルで仕事をしているので、雪でも雨でも通っている人たちをみると、自分は恵まれているなぁと思ったりもするけど、でもそれ自体恵まれているかどうかなんて、多分どうだってよくて、ただ一つだけ言えるのは、都会のインフラに対して、人が多すぎるんだろうなとは思う。
渋滞、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車、長蛇の列、充満する排気ガス。
効率化の為のインフラが、いつのまにか弊害になっている。車に携帯電話をつい忘れてしまい、待ち合わせの交番前でこれだけ心配になるのかと、自分でも驚きました。携帯電話なんてなかったときは、きっと約束の意味がもっと重たかったのかな。
情報もなんでもかんでもバリアフリーやリアルタイム処理することで、一見便利に見えるけど、あるキャパを超えるときっと途端に面倒なツールになるんだろうと思う。
地方に行きたい人はたぶんそのキャパオーバーをなんとかしたいと思っているんだと思う。でも、田舎には独特の不便さもあって、田舎に行くと干渉されない都会の方が生きやすいんじゃないかと思ったりもする。
結局、自分たちの都合の良いように行き来出来ればいいのにと思っていて、それが僕が求めているこれからの暮らし方じゃないかなと感じている。それが良いのか悪いのかはおいて置いて、そう思っています。
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